日本の風物詩として、四季折々の行事や習慣が数多く存在します。その中でも、秋の深まりと共に訪れる「亥の日」は、長い歴史の中で人々の生活や心を温めてきた特別な日であります。この日には、「亥の子餅」という独特の餅が登場し、無病息災や家族の健康を祈る心温まる風習が今も続いています。
「亥の日」の背景には古代からの信仰や陰陽五行説などの哲学が絡み合い、時代と共に進化してきた様々な要素が詰まっています。そして、それらの背景を知ることで、ただの餅を食べるだけでなく、その深い意味や価値を再確認することができます。
この記事では、「亥の日」と「亥の子餅」の関係、その歴史や意味、そして現代においてどのように楽しまれているのかを紐解いていきます。伝統の中に息づく、人々の願いや感謝の気持ちを感じながら、日本の美しい風習に触れてみましょう。
亥の子の日にこたつを出して冬を迎える
立冬とともに、多くの家庭ではこたつやストーブなどの暖房器具が登場します。しかし、具体的にいつ暖房器具を出すのが最適かは毎年迷うもの。そこで、古くからの風習「亥の子の日」を参考にするのはいかがでしょうか。
亥の子の日とは?
「亥の子の日」とは、十二支の「亥」にちなんだ日で、旧暦10月の亥の日を指します。特に旧暦10月の最初の亥の日が重視される風習があります。この日には「亥の子餅」を食べたり、「こたつ開き」をするなどの伝統的な行事が行われてきました。
2023年の亥の子の日
2023年の亥の子の日は、旧暦10月の最初の亥の日、すなわち11月13日にあたります。新暦に合わせると、2023年11月の最初の亥の日は11月1日となります。
亥の子の日と立冬
立冬は、日本の伝統的な二十四節気の中の一つであり、冬の始まりを告げる重要な時期です。具体的には、一般的には11月7日か8日頃から始まり、約15日間続く11月22日か23日頃までを指します。ただし、この日は太陽の位置に基づいて定められるため、年によって微妙に変動することがあります。
2023年の立冬は11月8日(水)から始まり、11月21日(火)に終わるとされています。
立冬は、多くの人々にとって「冬の到来」を感じさせる象徴的な時期です。この時期になると、寒さが増し、日本各地で冬の気配が強まり、北国では初冠雪の情報が聞こえてきたりします。街路樹や公園では、落葉樹の葉が色づき始め、美しい風景が広がります。
亥の子の日と立冬
「亥の子の日」は、十二支の中の「亥」に関連する日で、特に旧暦10月の亥の日を指します。この中でも、旧暦10月の最初の亥の日が特別視される風習があります。2023年の亥の子の日は、旧暦での日付としては11月13日となります。一方、新暦に合わせた場合、2023年11月の最初の亥の日は11月1日となります。
亥の子の日には、伝統的な行事や風習が色々とあります。特に「亥の子餅」を食べることや、「こたつ開き」という行事が行われてきました。
立冬と亥の子の日は、日本の伝統的な暦の中で重要な位置を占めるものです。立冬は四季の移り変わりを感じさせ、亥の子の日は古くからの風習として親しまれてきました。これらの日を通して、日本の季節感や文化を深く感じることができるでしょう。
こたつ開きとは?
「こたつ開き」とは、亥の子の日にこたつや暖房器具を出す風習のことを指します。これには、この日に暖房器具を出すことで、火事の危険が少なくなるという意味が込められているとも言われています。
亥の子餅とは
亥の子餅とは、イノシシの子(うり坊)を模した餅で、この餅を食べることで無病息災を願うという風習があります。特に西日本では、収穫の感謝を込めて「亥の子まつり」が行われる地域も。一方、東日本では、旧暦10月10日の「十日夜」が似たような行事として知られています。
関西を中心に冬の訪れとともに人々の間で広まる「亥の子餅」。その名の通り、猪の子供を模した形の餅で、現在では関東でもその姿を目にすることが増えました。では、この風習はどのような由来があり、何のために食されるのでしょうか。
亥の子餅の起源と由来
「亥の子の日」とは、亥の月、亥の日、亥の刻が重なる日のことを指し、「玄猪」とも呼ばれます。この日には、多産を誇るイノシシの子供にちなみ、「亥の子餅」や「玄猪餅」と呼ばれる特別な餅を食べる風習があります。この習慣は、古代中国の言い伝え「亥の月、亥の日、亥の刻に餅を食べると無病息災になる」という信仰から始まったとされています。
亥の子餅の材料と作り方
伝統的な「亥の子餅」は、新米を主材料とし、大豆・小豆・ささげ・ごま・栗・柿・糖の7種の具材を混ぜ合わせて作られます。この餅は、イノシシの子の形や色を模して工夫され、時代を経てもその伝統的な姿を保ち続けています。
現代の亥の子餅
現代では、亥の子餅の形や材料も多様化してきました。しかし、その基本的な意味合い、すなわち無病息災や子孫繁栄を願う心は変わっていません。10月から11月にかけて、和菓子屋の店頭でこの特別な餅を目にする機会が増えます。
亥の子餅は、古くからの風習と現代の和菓子の技術が融合した、日本の伝統的なお菓子のひとつです。冬の訪れとともに、この特別な餅を味わいながら、健康や繁栄を願う瞬間を楽しんでみてはいかがでしょうか。
「亥の子の日」は「こたつ開き」をすると火事にならない
寒くなるとどうしても我が家の暖房器具に目が行きます。でも、昔からの伝統で「いつ出すのが良いの?」という目安が存在しています。それが「亥の子の日」に行われる「こたつ開き」です。
「亥の子の日」は、亥の月と亥の日が重なる日のことを指します。この日は、陰陽五行説に基づくと、火を制御する水の属性を持つとされています。そのため、古くからこの日に火を使うと火事のリスクが低くなると言われてきました。
こたつ開きの起源
この信仰に基づき、人々は「亥の子の日」にこたつや囲炉裏に初めて火を入れるようになりました。この習慣は「こたつ開き」として広まり、多くの家庭で実践されるようになりました。現代では、具体的な暖房器具の使用は気温や生活環境によるものですが、この日を目安にこたつやヒーターの準備をする家庭も少なくありません。
また、茶の湯の文化においても、「亥の子の日」には特別な儀式「炉開き」が行われることが多く、この日に新茶の「口切り」を行いながら「亥の子餅」を楽しむ風習が存在します。
「亥の子の日」の「こたつ開き」は、昔ながらの知恵として、今も多くの家庭で実践されています。暖房器具の使用開始の目安として、また、縁起の良さを信じる気持ちとして、この伝統を大切にしていきましょう。
関東大震災と「亥の年、亥の月、亥の日」
映画「帝都物語」の中には、印象的なシーンがあります。魔人加藤保憲が、土御門家の陰陽師平井保昌の血で「亥、亥、亥」と書き、「亥の年、亥の月、亥の日」として帝都を壊滅させる日を宣言します。物語の中で、震災発生日1923年(大正12年)9月1日は「亥の年、亥の月、亥の日」として描かれていますが、実際の関東大震災はいつだったのでしょうか?
まず、「亥の月」について。通常、これは旧暦の10月を指します。新暦との関連で考えると、実際には11月頃となります。さらに大正時代には、日本は既に新暦を採用していました。
関東大震災が発生した1923年9月1日を詳しく調べると、以下のような干支の組み合わせになります。
- 年干支:癸亥(亥年)
- 月干支:庚申(申の月)
- 日干支:丁丑(丑の日)
確かに、1923年は「亥年」であることは間違いありません。しかし、月と日に関しては物語の描写とは異なり、それぞれ申(さる)の月と丑(うし)の日となっています。
実際に、大正12年に「亥の年、亥の月、亥の日」が最初に重なるのは11月10日でした。これは関東大震災の発生日から2ヶ月以上も後のことである。
このような違いが映画や物語の中で描かれる理由は、ドラマチックな要素や伝説の成り立ちなど、さまざまな要因が考えられます。
11月に亥の子餅が店頭に並んだら、ぜひ亥の子餅を食べならがら「帝都物語」を見てくださいね!
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