七夕の日は雨が多い…と言われています。
この七夕の日に降る雨のことを催涙雨と言います。
どうして七夕には雨が降るのか、雨が降ったら織姫と彦星は出会えないのか、などご紹介します。
七夕に雨が降る理由、どうして雨が多いのか
東京で2011年~2020年までの10年間の7月7日の天気を見てみると、晴れたのはわずか3年だけでした。これは7月7日が梅雨の真っ最中であることが多いからです。同じ期間の1月1日、つまり元日の天気を見ると、ほとんどの日が晴れで、曇りマークが1日だけ出ています。
七夕の7月7日は梅雨なのになぜ七夕か
ではどうして七夕のような行事が7月7日にあるのでしょうか。それは新暦と旧暦による違いのためです。
現在主に使用されているのは「新暦」ですが、七夕が伝わって日本で行事として始まった当初は、「旧暦」つまり「太陰太陽暦」の7月7日に行われていました。太陰太陽暦の7月7日は、新暦の8月頃に相当し、この時期は日本の多くの地域で梅雨が明け、晴れの日が多いです。
国立天文台では、「伝統的七夕」として、太陰太陽暦での7月7日に近い日をホームページで紹介しています。その表を見ると、新暦の8月2日だったり、8月29日だったりと、現代の七夕とはかなり時期が異なることがわかります。
催涙雨とは七夕に降る雨のこと
七夕の日には、「催涙雨(さいるいう)」と呼ばれる雨が降ることがあります。この雨の名前には色々な意味があります。
催涙雨の読み方
催涙雨の読み方は「さいるいう」です。
催涙雨の意味は雨で会えない織姫と彦星の涙
催涙雨の説の一つは、雨のせいで天の川の水位が上がり、彦星が渡れなくなってしまうというものです。その結果、彦星に会えない悲しみが織姫の涙となり、「催涙雨」が降るとされています。この悲しい伝説は、日本では非常に有名です。
七夕とカササギ、雨の日はカササギの橋を渡って
この雨の日に織姫と彦星が渡れなかったので会えなかった…というのを救ってくれるのがカササギです。
カササギは中国では吉兆…カラスのような姿をした鳥で非常に賢い美しい鳥です。
このカササギが雨で渡れなくなった天の川に橋をかけてくれる、織姫と彦星はそのカササギの羽の橋を渡って会うことができると言われています。
カササギの橋は晴れている日にもかかる
カササギは雨の日に橋を作ると紹介しましたが、これには他にも複数の説があります。
- 雨で悲しむ織姫の元に、天帝に頼まれたカラスが集まり、彦星と織姫が会える橋を作った(晴れている日こそカササギの橋)
- なので雨の日は橋を作れない
というものですが、雨の日に二人が会えないなんて可哀想すぎる!カササギには雨の日にこそ活躍してもらいたいですね!
催涙雨の意味は織姫と彦星が会えた喜びの涙
もう一つの説は、「織姫が彦星に会えてうれしくて泣いてしまい、それが雨となる」というものです。また、「別れが悲しくて泣いている」という解釈もあります。これらの説は、「催涙雨」が喜びの涙から生じるという解釈を示しています。
また、「彦星が織姫に会うために船で天の川を渡り、その船をこぐ櫂からこぼれる天の川の水滴が雨となる」という説や、「彦星が自分の牛車を洗うために降らせる洗車雨」というのもあります。これらの説は、彦星の会いたいという情熱が雨となるという考え方を示しています。
せっかくですので、七夕に降る雨の他の意味もご紹介します。
洗車雨は七夕前夜に降る雨
七夕の前夜、旧暦の七月六日に降る雨を「洗車雨」と言います。これは、伝説の中の牽牛が、一年に一度の逢瀬のために牛車を洗う水が雨として地上に降るという意味です。洗車雨が降ると、それは大気中の塵を洗い流し、七夕の夜に美しい星空を用意してくれる好兆候とされています。
洒涙雨、七夕の日に降る雨の意味
催涙雨として紹介しましたが、七夕の日に降る雨は「洒涙雨(さいるいう)」または「七夕雨」とも呼ばれます。これも牽牛と織女が別れの時に流す涙が雨となって地上に降るとされています。また、七夕の日に雲が出て逢瀬が叶わないとき、二人が流す悲しみの涙が雨となるとも言われています。
七夕流しは七夕の長雨
七夕の夜を台無しにするような長雨を「七夕流し」といいます。この名前は、天の川を流すほどの大雨という意味が含まれています。予報通りの長雨が続くと、これが「七夕流し」の雨となり、残念ながら七夕の夜空を見ることは難しくなります。
催涙雨は時間帯で意味が変わる
韓国では、雨が降ろうと降るまいと二人は出会うことができるというのが通説です。ただし、同じ日に降る雨でも時間帯によってその意味が異なります。
- 朝に降る雨は会えなかった一年の「嘆きの涙」
- 昼・夕方に降る雨は再会の「喜びの涙」
- 夜・明け方に降る雨は別れの「悲しみの涙」
と解釈されます。
催涙雨にはなぜ様々な説が存在するのか
七夕の由来は古代中国の言い伝えに基づいていますが、その話が日本に伝わる過程で、また伝わった後も少しずつ変化し、様々な説が生まれました。古代には書物が非常に貴重で、物語は口伝で語られていました。そのため、記憶の違いや、独自の解釈が加わることで、同じ「催涙雨」でも様々な説が生まれたのでしょう。
「催涙雨」は、うれし涙か、悲しい涙か。どちらの説も間違いではありません。悲しみの涙と喜びの涙、どちらの解釈を選ぶかは、あなた次第です。
以上、七夕の「催涙雨」についての説明となります。今年の七夕は、どんな「催涙雨」が降るのでしょうか? それとも、晴れて星に願いを込めることができるのでしょうか。今からその日が楽しみですね。
織姫と彦星が会えない理由
織姫と彦星が会えない理由についてです。
雨の日は織姫と彦星が会えないのですが、なぜ二人は年に一回しか会えなくなったのでしょうか。彼らは恋人として誤解されがちですが、実はその出会いから結婚まで、そしてなぜ年に一度しか会えないのか、背後には深い意味が隠されています。
出会ってすぐに恋に落ちる織姫と彦星
織姫と彦星は、父親である天帝によって選ばれた結婚相手で、出会ったその日から結婚することとなりました。彼らはそれまでまったく接点がなく、互いの存在すら知らず、恋人同士ではなかったのです。しかし、初対面からお互いに引かれ、深い愛情を育むこととなります。
恋は盲目、織姫と彦星が別れさせられた理由
愛情が深まる一方で、織姪と彦星は仕事を怠るようになりました。二人で過ごす時間を増やすと仕事なんかできません。まさに恋は盲目状態!
それに激怒した天帝は、二人を引き離し、お互いの姿さえ見ることができないほど遠くに送りました。しかし、二人の哀しみを見かねて、天帝は「まじめに働くなら、年に1度だけ会わせよう」という約束をしました。
織姫と彦星が会えない理由、一年に一度の七夕の日
年に一度しか会えないという約束には、特別な意味があります。それは一年に一度の再会の喜びを感謝し、怠惰が良くないという教訓を伝えるためだったのです。七夕の物語は、小さなことでも喜びを感じ、それを大切にすることを伝える教えとも言えます。
織姫と彦星の七夕の日
物語によれば、七夕の日には彦星が天の川を渡って織姫に会いに行きます。しかし、天の川を渡ることができないときは、多数のカササギが飛んできて、天の川の橋になるとも言われています。また、彦星が牛に乗って織姫に会いに行く説もあります。どちらにせよ、彦星が積極的に織姫に会いに行くというのが共通しています。
このように、織姫と彦星の物語は、恋愛だけでなく努力や感謝の大切さも教えてくれる美しい伝説と言えるでしょう。七夕の日には、彼らの物語を思い出し、一年に一度の再会の喜びを改めて感じてみてはいかがでしょうか。
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