2024年12月3日は先勝

雛祭りの由来や歴史、食べ物の意味

雛祭りの由来や歴史、食べ物の意味 雛祭り

お雛様の由来や歴史、お雛様の食べ物の意味についてです!

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ひな祭りの歴史と由来

ひな祭りやお雛様の意味や由来についてです。なぜ三月三日に雛人形を飾るようになったのか、どうして女の子のお祭りなのか…これには色々な理由があります。

ひな祭りの本当の意味、上巳の節句

雛人形は「上巳の節句」に、人形(ひとがた=藁などで作った人形)で体を撫で、穢れを移したものを川に流し厄払いをする行事と、貴族の女児が行っていた紙の人形のおままごと遊びである「ひいな遊び」が合わさってはじまった…というのがよく言われるお雛様の通説です。
しかし、このひな祭りの由来に関してはさまざまな説があり、特に厄祓いのために川に流されていた人形が、なぜ飾るようになったのかについては、その経緯を伺うことができる文献はほとんどありません。

平安時代の五節句とひな祭り

平安時代には年中行事として『五節句』というものがありました。
「節」は季節の変わり目という意味です。昔から日本人は奇数を縁起が良い数として好無傾向がありましたが、奇数が重なると偶数になることからこれらの日に穢れを祓う目的で節句が行われるようになりました。奈良時代に中国から伝わったと言われています。
日本では、稲作中心の生活リズムに合わせて、うまく適合させてきました。昔はたくさんの節句がありましたが、江戸時代に幕府が節句を元に公的な祝日とした5つの節句が現代まで残っています。

1月1日は元旦として別格扱いなので、7日をあてるようになったと言われています。これらの節句は、無病息災を願い、身体の邪気を祓うための大切な行事でした。

ひな祭りの本当の意味はひいな遊び

もともと3月3日の『上巳』の節句は、年齢性別の関係なく、人々がワラや草で作った人形(ひとがた)で身体を撫でて穢れを移し、それを川や海に流すことで穢れを祓う行事でした。

同じ頃、平安貴族の子女の間では『ひいな遊び』という、紙の人形をつかったおままごとのような遊びがありました。「ひいな」とは小さくて可愛らしいもののことをさしています。やがて紙で作った男女一対の人形を川や海に流して穢れを祓う『流しびな』が行われるようになり、これがひな人形の始まりと言われています。

室町時代になると、紙ではなく立派な人形が作られるようになり、人形は流すものではなく飾る物へと変わっていきました。

上巳の節句の元となる徐肇

この「上巳の祓い」の元は漢の時代の中国に遡ります。ただしこの話はちょっと眉唾な気がします。

昔々、中国は漢の時代に徐肇(じょちょう)という男がいました。ある年の三月の初めに、徐肇は三人の娘を授かりました。ところが三人の女の子はみんな3日で亡くなってしまったのです。
娘の死を嘆き悲しむ徐肇に代わって、村人たちは酒で徐肇の娘たちの亡骸を清め川に流して弔いました。

この徐肇の娘が亡くなったのが三月の最初の巳の日だったと言われています。この徐肇の娘が亡くなったこと、その娘を水葬にしたこと、それらが三月の最初の巳の日に厄を祓う儀式となり、「上巳の祓い」が始まったという説になります。

3月3日の雛祭りは本当は不吉な日?

お雛様の上巳の節句は「上巳祓い」を行う日でした。上記に徐肇の逸話を掲載していますが、この徐肇の逸話は本当かどうかはちょっと眉唾です。
もう少し信憑性の欠けるのが中国の陰陽道からという説になります。

3月3日は3という奇数が重なる日…これは陰陽では「陽の極まる日」で不祥日、すなわち不吉な日なのです。中国では奇数を陽数として好み、偶数を陰数として嫌う思想があり、「一」は陽の本源、「二」は陰の本源で陰陽の本源が合体して、森羅万象を創り出すと考えらていました。陽数は三から始まり九に極まる、また奇数(陽)が重なると陰になります。この奇数が重なった状態を不吉として厄払いの行事が行われました。これが「上巳祓い」となります。いかにももっともらしく感じますが、巳の日はどこに行ったんだ…となりますね…。

この「上巳祓い」では人の厄をのせた身代わり人形を川や海に流して、厄払いを行うものです。この「ひいな流し」がひな祭りの元となった…という説です。
ただ3月3日に厄払いをした、というのは確実なので、なぜそれが祝いの日となったのか、日本では独特の発展をたげたのか、その後の変遷がとても気になりますね。

日本書紀の曲水の宴がひな祭りの由来?

「曲水の宴」というと平安貴族!という感じですが、これも中国発祥だと言われています。水辺に出て禊ぎ・祓いを行う風習である「曲水の宴」は秦の昭王の時代から始まりました。3月3日あるいは3月の最初の巳の日に催され『蘭亭序(王羲之が催した修禊の雅会で詠まれた詩集の序文として自ら書写した草稿)』に353年の3月3日に開かれたとあります。
この曲水の宴は日本にも伝わり、485年3月に宮廷の儀式として催されたことが、日本書紀に記されています。この曲水の宴で汚れを移した人形を流したのがひな祭りの由来とも言われているんですよ。

江戸時代に制定された五節句

江戸時代になると幕府によって「五節句」の制度が定められました。古代に大陸から伝来し、根付いていた節句の行事を公式の祝日として位置づけたものです。『上巳』が女子の節句として定められ、ひな人形はより豪華なものへと変化していき、武家や商家などの富裕な階級では嫁入り道具の一つとされるようになりました。

その後も時代に合わせて様々な人形が作られるようになり、次第に現在のひな人形の形になりました。

雛人形のお内裏様って誰のこと?

「うれしいひなまつり」という童謡の歌詞に「お内裏様とおひな様」という部分がありますね。このお内裏様とおひな様って一体誰のことを指しているのでしょうか。

お雛様は結婚の儀

内裏というのは宮廷における天皇の私的区域のことです。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などとも呼ばれます。紫宸殿は内裏の正殿になり、雛人形はその紫宸殿にて行われた天皇陛下と皇后さまの結婚の儀をもしたものです。
そう、雛人形というのは陛下と皇后様のように幸せな結婚をする、女の子の幸福を願っているのです。

お内裏様って陛下と皇后様二人のこと、じゃあお雛様は?

雛人形が陛下と皇后様の結婚の儀となると、お内裏様は即ち陛下と皇后様お二人のことになります。
すると「お内裏様と おひな様、二人ならんで すまし顔」の部分に問題が生じてきます。お雛様も女雛と男雛で一対として扱いますので、並ぶのは「二人じゃなくて四人」になってしまうのです。

雛祭りの食べ物その由来と意味

せっかくの雛祭りです。食べ物は上記の桃だけではなく伝統的な行事食も食べましょう。
それぞれ由来があり、ひな祭りに食べると邪気を払って運気をあげてくれます!

菱餅

三つの赤(桃の花をイメージ、邪気を払う)・白(雪のイメージ、清浄さ)・緑(ヨモギで健康に)のエネルギーを取り込み、菱形の大地を食べることで、病や災いを追い出し健康で元気で過ごす

ひなあられ

白色は雪、緑色は木々の芽、桃色は生命をあらわしている、というものと白、赤、緑、黄の4色は季節を表していて、女の子の一年が健やかに過ぎるように願っている、という説があります。

白酒

白酒は体から邪気を払います。大人になれば飲めますので、これまで甘酒だった方も飲んでみましょう。甘酒も栄養分がたっぷりで捨てがたいですが、やはりひな祭りは白酒です!

甘酒と白酒の違い

甘酒は、ご飯やおかゆなどに米こうじを混ぜて保温し、米のデンプンを糖化させたもので、アルコールをほとんど含まない甘い飲み物です。
白酒は、みりんや焼酎などに蒸したもち米や米こうじを仕込み、1ヶ月程度熟成させたもろみを、軽くすりつぶして造った酒のことをいいます。
農林水産省のページより

はまぐり

ぴったりと二つの貝があわさる様子が、すてきな結婚相手を連れてくるそうです。

ちらし寿司

おせちと一緒で具材に意味があります。
れんこん:先を見通す
海老:長寿
豆:健康でまめに働ける

などです。

素敵な雛祭りを過ごしてくださいね!

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