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七夕の由来は怖い!そうめんは鬼の腹わたで厄払い!

七夕の怖い由来鬼の腹わたと厄払い 七夕

七夕様は織姫と彦星が出会う愛の日…と言われていますが、実はちょっと怖い由来もあります。
七夕の怖い由来についてご紹介します。

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七夕の由来と乞巧奠

七夕は元は中国の乞巧奠(きこうでん)から発祥したと言われています。

乞巧奠は七夕祭りの起源

乞巧奠(きこうでん、またはきっこうでんとも呼ばれる)は、毎年7月7日に行われる行事で、日本の七夕祭りの原型です。

天上の恋人、牽牛と織女

乞巧奠は、天の川を隔てて暮らす星々の恋人、牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)が一年に一度だけ出会うという中国の伝説に由来します。この伝説が日本に伝わり、棚機(たなばた)姫の信仰と結びついて行事が発展しました。

乞巧奠は手芸上達を願う祭り

この祭りでは、女性たちは特に機織りやその他の手芸の上達を願います。万葉集にも乞巧奠について数首詠まれており、この祭りが持統天皇の時代(在位686~697)から行われていたことは確かであるとされています。

平安時代の乞巧奠は宮中と貴族の間での行事

平安時代には乞巧奠は広く行われ、宮中や貴族の家でも祭りが開かれました。宮中では清涼殿の庭に机を置き、供物を供えて灯明を立て、香を焚き続けました。また、天皇は庭の倚子(いし)に出御し、牽牛と織女の出会いを祈りました。

貴族の邸(やしき)では、牽牛と織女の会合と、裁縫や詩歌、染織などの技芸が巧みになることを願って、梶の葉に願いを書き残しました。これらのことは「平家物語」にも記されています。

乞巧奠は、古代から現代に至るまで日本の文化として引き継がれてきた祭りで、その起源と発展は我々の手芸技術とその願いの歴史を物語っています。

七夕の怖い由来、恋人が無理矢理に引き剥がされた日

乞巧奠から始まった織姫と彦星の物語は天の川を挟んだ大恋愛ですが、聞きようによっては悲恋の物語です。

美しい姫であり織物の名手でもある織姫は、毎日一心に機織りに勤しんでいました。それを見かねた天帝は、織姫のために彦星という労働者の青年を見つけ出し、二人を結婚させました。

しかし、二人が一緒になった途端、彼らの労働者としての真面目さは失われ、恋に溺れるあまり仕事を放棄してしまいました。怒った天帝は二人を引き離し、天の川を挟んで別々の場所に住まわせました。しかし、悲しみに暮れる二人に対して、天帝は一年に一度だけ会うことを許すと約束しました。

二人は愛し合っていたのに無理矢理引き剥がされた

織姫と彦星の二人は非常に深く愛し合っていたのに、皇帝の怒りを買い、年に一度しか会えな句なってしまったのです。
この話だけを聞くと「新婚なんだから少しは多めに見なよ…」という気持ちにならざるを得ません。
このあたりが怖いと言われる所以かもですね。

七夕の怖い由来、鬼の腹わた

七夕の祭りに欠かせない行事食といえば、そうめんです。このそうめんが「鬼の腹わた」と呼ばれていることを知っている方は少ないのではないでしょうか。

この七夕のそうめんの起源は、中国から伝わった「索餅」までさかのぼります。

索餅(さくべい)とそうめん

索餅は奈良時代に日本へ伝わった食品で、小麦粉と米の粉を練り、縄のように細長くねじって作るというものです。

この索餅の作り方は、京都の地主神社のウェブサイトで公開されています。シンプルな材料から作られる素朴なお菓子です。

七夕料理レシピ|七夕特集|縁結び祈願 京都地主神社

醍醐天皇の時代に宮中の儀式・作法等を集大成した「延喜式(927年)」にも「そうめん」の原型といわれる「索餅」(さくへい)が、旧暦7月7日の七タの儀式に供え物の一つとして供えられたと記述してあります。 特に、平安期からは、宮中における七夕の行事に「そうめん」が欠かせない供え物とされていました。

索餅は病を防ぐ食物

中国では、7月7日に索餅を神様に備えたり、厄払いとして食べるようになったのは、中国の皇帝の子がなくなったことが由来となっています。

昔、七夕に亡くなった高辛氏(こうしんし)の少子が死後に一本足の鬼となり瘧病(おこり)が広がった。
これを鎮めるために命日に、この子の好物であった索餅を供え、祟りを鎮め、病を避けるために食べるようになった。

参考資料

  • 『和漢三才図会18』(平凡社)「索餅」(そうめん)の項p222-223
  • 『日本歳時記』(八坂書房)p94

鬼の腸の索餅からそうめんへ

この鬼の故事にちなんで、7月7日に食べる素麺は「鬼の腸」とも呼ばれるようになりました。この名前の背後には、長い歴史と深い伝説が刻まれています。

他にも

  • 「そうめん」を糸にみたて「芸事(機織)が上手になるように」
  • 小麦は毒を消すといった言い伝えから「健康を願う」
  • 年一度の彦星と織姫のデートにあやかって「恋の成就を願う」

という意味もあるんですよ〜。

七夕の怖い由来、七夕は厄払いをする日

さて、鬼のはらわたもなかなか怖い由来ですね。
ですが七夕は厄払いの日でもあるのです。

七夕は厄除けと縁起物の日

七夕、これは一年に一度だけ織姫と彦星が出会うとされる日として広く知られています。しかし、その他にも、七夕は五つの節句(人日の節句・上巳の節句・端午の節句・七夕の節句・重陽の節句)の一つであり、厄払いの日ともされています。

流し雛と七夕流し

日本でも上巳の節句であるひな祭りが、女の子の厄を払う行事であることは有名ですね。
ひな祭りでは厄を移した雛人形を川や海に流す、という「流し雛」があります。

七夕飾りは「七夕送り」または「七夕流し」とも言われ、これらは七月七日の夜か八日の朝に川や海に流す厄払いの風習でした。これらは、七月十五日から始まるお盆に向けて、厄を払うための禊の一環とされていました。

しかし、新暦の採用により、お盆が8月にずれ込んだため、七夕祭りだけの意味合いが強くなりました。

節句は節目の日、災厄を祓い払う

節句は節目の日と考えられており、これは人々が新たな時期に進むために過去の災厄を祓い払う意味合いが含まれています。七夕もまたその一つであり、七夕の行事や飾りつけは、その年の厄除けとなると言われています。

特に、七夕の笹は、神聖な植物とされ、厄除けの力があると考えられてきました。実際に、科学的には笹の葉に抗菌や殺菌作用があることが確認されています。

七夕の祝い方いつからいつまで?

七夕は毎年7月7日に日本全国で祝われるお祭りです。しかしながら、本来の七夕は7月6日の夜から7日にかけての行事とされています。そのため、7月6日の夜にはすでに笹や短冊を飾ることが推奨されています。

そして七夕の飾りは、7日中に片付けることが望ましいとされています。願い事を書いた短冊や飾った笹は、近くの神社でお焚き上げしてくれる場合があります。事前に近くの神社へ一度確認することをおすすめします。

現在では、海や川の汚染防止の観点から、七夕飾りを河川に流すことは禁止されています。地域のルールに従って、可燃ゴミとして処分することが推奨されています。例えば、海水浴に行った際に「人形の紙」が流れてきたら、それはあまり気持ちの良いものではありませんよね。

以上のように、七夕の祝い方や意味は、時代とともに変化してきました。古来の風習を理解し、現代のルールに従って七夕を祝うことで、新しい時代の七夕を楽しみましょう。

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